トップページに戻る

目 次

1.はじめに

2.今までの軌跡
'96年 '97年 '98年 '99年 '00年 '01年 '02年 '03年 '04年 '05年 '06年 '07年
'08年 '09年 '10年 '11年

3.今後の傾向と対策

文中に貼られている画像をクリックすると大きくなります。

***

1.はじめに
 我が家の年賀状には、毎年、猫を主人公にした四コマ漫画を刷り込んでいる。四コマ漫画そのものの動機としては、@どうせなら目にとまっていただきたく、オリジナリティの表現というサービス精神、Aメッセージ性のある漫画でスペースを割き、個々のコメントをなるべく数行で済ませたい、という暮れのせっぱつまった時期からくる合理性、の2つがある。
 猫が主人公なのは、十二支から除け者になってしまった猫に同情しているわけではなく、単に猫が好きだからである。まあ子供がいない、といった事情もチラッとあるが・・・。
 12月も半ばに差し掛かるころになってから、頭の隅でネタを思い浮かべはじめるが、日々のあれこれに追われた結果、背水の陣で気合いを入れるのは大晦日直前になる。
 猫と来年の動物との「やりとり」について、悶々とネタづくりしている私の傍らで、家内はけしからんことに全くの他人事である。おフランス語とかのテキストをやられている。
 そうしているうちに、我が脳裏にあれこれとネタは浮かび、相談するたびに、
「恥ずかしい」
「下品よ」
「いい加減にして」
とのたまう。ネタ出しと下絵までは「生みの苦しみ」のごとく大変であるが、それさえできれば、家内が下絵をきれいにアレンジし、プリントゴッコで淡々と無の境地でコメツキバッタを繰り返せば、瞬間的に年賀状は完成するのである。翌日には筋肉痛が残るが・・・。

※かつて年賀状印刷の栄光を極めたとも言えるプリントゴッコについては、そのお手軽さに無心に重宝してきたが、さすがにインク等の物品調達に不安を感じるようになり、2008年(平成20年)賀状の印刷時には、購入したてのインクがチューブの中身が硬くなったというシロモノであったことを契機に、その翌年、2009年からは、ついにインクジェットプリンターへと時流に追従する決断になった(2011年1月2日補筆)。

目次に戻る

2.今までの軌跡
(1) 子(ね) 1996年(平成8年)
 結婚した1993年の翌年は、戌(いぬ)であった。
 結婚というハイテンションが持続した状態下で、ハガキ一面にラブラブな妄想をアレンジするため、激しい多色刷りをたくらみ、コメツキバッタの回数を5倍以上に増やしてしまった。その結果、単純作業中に浮かぶ邪念との戦い、そして筋肉痛と、心身共にきたした後遺症でしばらく悩まされた。当時は若かったものであった。
 次なる1995年は亥(いのしし)であったが、確か2色刷りと、現実的なレベルにグレードを落とした以上、内容的には全く記憶に残っていない。
 そして、運命の「ねずみ」を迎えることになるのだが、「ねずみ」といえば宿敵は「猫」である。迫り来る晦日を前にあれこれ現実逃避していた家内と私の脳裏に、猫を主人公にした四コマを年賀状にしたらおもしろいだろうな、という珍しく前向きなアイデアが閃いた。
 幸いか不幸か、猫は私達の話題における共通テーマの希少な一つであって、当時は家内の実家にいた「ちび子」というキジトラを撫でに行くのが楽しみであった。
 ちび子がねずみをパシッと捕まえて、飼主(家内)のところに持ってくる。どうだ、とちび子は自慢げだが、なぜか「ねずみ年」のために家内から叱られてしまい困惑する、という単純明快なストーリーである。 
 まさか毎年続けるとは夢にも考えなかったため、オリジナル原稿はとうの昔に紛失してしまったが、時は平成18年(西暦2006年)の初春、とある方の好意にてハガキを拝借することができたので、ここに紹介できる次第である。

目次に戻る

(2) 丑(うし) 1997年(平成9年)
 次年も必然的に2年目も四コマとなった。
 しばらくオリジナル原稿を紛失していたが、これも黎明期の宿命である。しかし、平成18年(西暦2006年)になったある夕暮れ、ついにある方からハガキを拝借することができたので、ここに紹介できる次第である。
 今であれば、北海道の足寄郡陸別町にある西岡牧場には、牛舎に居場所を構える、いわゆる「牛舎猫」が存在することを知っているのだが、当時の薄らな我が見識では、猫と牛に身近な接点があることなど、皆目検討がつかなかった。
 ストーリーとしては、いつものごはんである牛丼と牛乳にちび子は飽きてしまい、ほどほど残して満腹感で居眠りしてしまう。その状況を眺めていた牛から、贅沢だ、と蹴りをくらう、というちんちくりんなものであるが、これが関の山であった。

 

目次に戻る

(3) 寅(とら) 1998年(平成10年)
 乗ってしまった船、という感じで、必然的に四コマにチャレンジした。
 しかし、想像力が欠如した状況において「猫」と「虎」について、リアリティあるやりとりを求めることができず、発作的に「テレビ」という媒体が閃いた。
 家内の実家にいたちび子の居場所がテレビであったことは紛れもない事実であった。しばしば尻尾を画面に垂らして視聴の妨げをしたと聞いているが、家族の気をひこうとした意図的な行為かどうかは定かではない。

 

 

 

目次に戻る

(4) 卯(う) 1999年(平成11年)
 野生の状況においてウサギは猫からみれば、単なるエサの対象であるが、食べられてしまっては四コマとして元も子もない。ウサギとネコを擬人化することも含めて、たかだか四コマのネタ出しのために悶々とした年の暮れを送らざるをえなかった。
 思考空回りの末、思いついたのは、ウサギが穴を掘る、という仕草に絡められないかな、ということであった。かたや、猫が穴を掘る、といえば、おしっこやウンコをするときである。私の実家周りでは、外猫はみな柔らかい土を好んで耕した畑に尻を下ろすのが常である。
 私の頭の中で、こうしてウサギと猫が短絡的につながったわけである。
 こうして閃めきかけたネタだったが、単なる下ネタだと家内から猛烈な抵抗を受けた。そこで、ウサギがセッセと種を蓄えるために穴を掘ることにこじつけて、最後はウサギがハッピーになる、というオチを得ることができた。ただし、ウサギが本当に種を穴に蓄えるような習慣があるかどうかは不詳である。

目次に戻る

 

(5) 辰(たつ) 2000年(平成12年)
 昭和天皇の崩御には及ばないが、それでも1900年代の終焉という歴史を感じる年の暮れであったが、相変わらず四コマのネタ出しに現実逃避しつつ思考錯誤を重ねた。
 「龍」といえば「ドラゴン」、比較的容易に、ネコとドラゴンが闘うというアイデアが思いついた。ネコの必殺技といえば、ネコキックよりは、ネコパンチが漫画としては描きやすいだろう。
 かたや、ドラコンの必殺技といえば、小さいころから慣れ親しんだ、ウルトラマンシリーズの怪獣対決シーンで、ボワ〜と火を吹くシーンが浮かんだ。
 ネコパンチに、ドラゴンファイア・・・。これがネコの夢という設定では四コマとしてはオチがない。そこで、ピンと閃いたのが、居眠り中のネコが「熱い」という状況下になっている、というコジツケであった。詳細は画像をクリックしてご高覧いただきたい。

 

目次に戻る

(6) 巳(み) 2001年(平成13年)
 2001年の四コマは欠落である。諸般の事情にて一人おフランスに滞在していたが、四コマのネタ出しどころか年賀状も含めて早々にギブアップした。

目次に戻る

(7) 午(うま) 2002年(平成14年)
 ミレニアム最初の年、2001年も師走に入った頃、単身おフランスから帰郷すると、マーシャという茶トラ白のお転婆猫が発作的に家の中を走り回っていたが、なぜか新顔の私に対しては拒否反応を示さなかった。
 しかし、それから1週間たって急にグッタリとし、ご体調を崩されてしまった。脱水症状とのことだったが、やはり私の突然の出現に潜在的なストレスを感じていたのではないか。
 さてとにかく、帰国直後のあわただしい中、馬と猫という全く関わりのない取り合わせの中で、今回こそはなんとなくあきらめの境地があったが、そんなマーシャの仕草を見ているうちに、尻尾にじゃらしてみればどうか、と思いついた。
 今になって眺めてみると、実に淡白で、おもしろくもなんともない構成であるが、あえて言えば、おふらんす流エスプリと解釈していただければ幸いである。

 

目次に戻る

(8) 未(ひつじ) 2003年(平成15年)
 毎年のことであるが、「猫」と「羊」という珍奇な組み合わせに大いに悩まされた。
 当初は、羊の毛皮に猫がフクフク、といった様態を連想していたが、オチを見つけられず、ズルズルと時間が過ぎていった。
 もはや背水の陣が崩れかける暁に、羊を守るシープドックの存在が直感的に閃いた。この救いによって、ストーリーとオチが瞬時にできたのも同然だった。
 結果的には、羊を脅した猫が逆にシープドックに脅されるという王道を歩むような四コマ漫画ができあがった。

 

 

目次に戻る

(9) 申(さる) 2004年(平成16年)
 「猿」であるから、有無を言わさず猿を飼主に見たてることによって、猫との日常生活の中からネタは限りなく湧き出してきた
 しかし、四コマにするためには起承転結がなくてはならず、思いをめぐらすうちに、動物園の猿山で目にする、猿が猿のノミをとってあげているおなじみの光景が脳裏に浮かび、そこで「ゴマスリ」というキーワードに着目した。
 問題は、布団にもぐることを催促する仕草を絵に描くのが非常に難しいらしく、ややもすると、家内の描く猿の表情からは、ギンギラギラギラと欲求が垣間見られた。
 家内にイメージを伝えるために、
「さあ、早く早く、キー!」
と、自ら中腰にてゼスチャーにて指導するなど、苦節も何回も繰り返して解決した。
 なお、なぜかタイトルがついているが、これは下ネタではないという一種のアピールのあらわれである。

目次に戻る

 

(10) 酉(とり) 2005年(平成17年)
 鳥は猫の獲物に過ぎず、通常にて仲良く一緒にしている情景は皆無に等しいはずである。
 現に、私の実家の三毛猫、ミーちゃん(マーシャの妹)は自由に庭を散歩できる身分だが、機会あるごとに庭のスズメを餌食にしてきたらしい。もっとも、最近は太ったせいか動きの俊敏さがなくなり、チリンチリンという首の鈴も邪魔してか出来高がないと聞くが。
 ということで、日頃の恨みを込められて、鳥に猫がからかわれる、というネタにした。背中マッサージ、特に尻をトントンとたたくと尻を突き出してまで喜ぶことは、猫好きならご存知だと思う。しかし、雄猫の場合は、ひょっとしたら爪出しの猫パンチが飛んでくるかもしれないが、今のところ定かではない。

 

 

目次に戻る

 

(11) 戌(いぬ) 2006年(平成18年)
 ここ守谷の里では、軒先に丸くなっている犬の傍らで猫が遊びまわるという情景がしばしば垣間見られる。 かくいう我が飼い猫、マーシャもそうした幼少時代を過ごしたと聞いている。
 一般的には犬と猫は相性の悪い組み合わせと言われているが、実はこのように日常的なコミュニケーションを有する縁なのである。
 さて、今回の四コマでは、猫パンチをくらった犬が猫恐怖症になるというストーリーであるが、これはマーシャにまつわる実話である。マーシャは幼少から犬に慣れ親しんだためか犬に強い。つまり犬を見下してナメている。わざわざ我が家を訪れた複数の犬にパンチを浴びせた結果、例えば近所の柴犬サンダー君は、家内を見るだけで、その風貌からマーシャを連想するらしく、スゴスゴと退散するとのことである。
 余談だが、マーシャの性格も犬に似ており、猫特有のマイペースさというよりは、常に周りを気にし、結果的に振り回されている。そればかりでなく、私たち夫婦には極めて従順だが、ピアノを習いにくる子供たちには、積極的に猫パンチをするなど、自分の順位をふまえた行動に走ることもある。
 それはさておき、上記のようなストーリーは骨格として早々に固まっていたが、それだけでは四コマとしてはオチが弱く、毎年のようにダラダラと時間は過ぎ、妙な安心感から現実逃避を重ねつつ、気がつけば大晦日になってしまった。
 犬といえばコロッケ色をした柴犬、そのトレードマークであるクルンとした巻き尻尾に着目した。巻き尻尾を自慢した犬がネコパンチをくらい、股に挟んで「ふんどし」になってしまうという展開である。
 悪ノリではないが、ネコが「ふんどし」状態の犬に対して「ムキ海老」でトドメを刺してみた。「ムキ海老」とは、猫がピンとお尻を持ち上げると、そのそそり立つ尻尾の背面がパックリと割れているところが、あたかも皮をむいた海老のように見えるからである。
 その様相を忠実に描写しようとしたが、かえって下ネタに陥るリスクを最大限に配慮したため、やや具象性を欠くデッサンに留めることとした。

目次に戻る

 

(12) 亥(い) 2007年(平成19年)
 ふとした思い付きから始まった十二支四コママンガも「イノシシ」を迎え、ついに当初の計画での終局を迎えた。
 猫とイノシシとは、現代ではもはや非日常的な巡り合わせであり、相変わらずであるが、四コマのネタづくりについては、瞬間的に思い出しては、まあいいや、の繰り返しでズルズルと大晦日を迎えてしまった。
 イノシシといえば、里山から現れてスーパーマーケットの中を走り回り、それを捕まえようとするが逃げられてしまったシーンをテレビで見たことがあった。思えば、イノシシは土壇場になると無の境地で突進する動物なのである。
 このように、猫にイノシシが突進、という基本的な方向性まではよかったのだが、そこから先がニッチモサッチも行かなくなってしまった。
 その時、突然であるが脳裏に高らかなファンファーレが鳴り響いた。幼少の頃慣れ親しんだ「タンタカ、タンタカ、タンタカタンタン」という「トレロカモミロ」のメロディであった。
 ついでに、「オレ!」に合わせて、ヒラリとかわされたイノシシが立場逆転、とレストランに突進してそのまま猪鍋になりかかる、というオチにしてみた。
 実に今回は、「トレロカモミロ」こそが、大晦日の背水の陣にケリをつけていただいた救世主なのであった。

目次に戻る

 

(13) 子(ね) 2008年(平成20年)
 四コマも一巡する猪まで、と家内と話していたが、年賀状における確たる代替案が思いつかず、今年も必然的に四コママンガの年賀状になってしまった。
 ネズミといえば、猫とはあまりにも日常的になじみがある、単なる狩猟の対象、言わばエサである。そのように何も変哲もない取り合わせなので、かえって四コママンガになりにくい、という大きな問題が生じた。
 いずれにせよ、今年はネズミ年であり、ネコ受難の年である。12年前は事情が分からずネズミを捕って主人に怒られてしまったが、怒られることはしない、と余計な我慢とサトリを開いてしまい、そのために怒られてしまう、という十二年前の初心に帰ったストーリーに仕立て上げた。
 しかし、ここまでは良かったが、印刷に大ハプニングが待っていた。機械の不調により製版がうまくいかず、おまけに、けしからんことに買ったばかりのインクが硬く、ノリが悪いために印刷が難渋し、一時は絶望しかかった大晦日であった。全ての作業が終わったときには、テレビから蛍の光が流れてきたのであった。

目次に戻る

 

(14) 丑(うし) 2009年(平成21年)

 年1回だけだったが、常習性を伴ったプリントゴッコと決別してしまった結果、図体の大きいインクジェットプリンターを前に、いったいどうやって作成するか、という不安によって潜在的な面倒臭さを増加し、肝心のネタ作りもままならず相変わらずズルズルと年末を迎えてしまった。
 牛と猫が存在する状況は、まさしく「牛舎猫」であり、牛の背中でヌクヌクと丸くなる猫が気持ち良ささのために、ツメを出す、とか考えたりしたが、イマイチであった。
 ふと、日曜日の夜、日本テレビで放送していた「電波少年」で、松村が牛の息を直接吸わされて、「臭い」と転倒しながら悶絶していたシーンを思い出した。なんと牛の息の成分はメタンガスとのことであった。
 さらに、美ケ原の牧場で、あぜ道脇に置かれていたシャベルカーに寄り添っていた牛が脳裏に浮んだ。目をひん剥きながら、ベロンベロンと機械油を舐めていた舌は、まさしく牛タンそのものであった。
 もし、そんな舌で猫がベロンベロンと舐めてもらったら、さぞかし臭がるだろうなあ、と適当に空想していた矢先、いっそのこと、牛を美容室の店長に仕立ててしまえば、とアイデアが閃いた。
 太ってしまった我が家の茶トラ白のマーシャは、発作的にせっせと全身を舐め回し、さらに自分の顔を洗うときはあんよを活用したりするが、なにせデブであるがゆえに、アザラシのごとく体を回すのが難儀であり、脂ぎって獣臭(けものしゅう)が漂っているかもしれなく、たまに家内がお風呂に入れて湯煙を浴びせてやるのであった。
 美容室での洗髪といえば、最後はドライヤーである。そこで、ぶはぁ、とメタンガスたっぷりの息を吹きかけられて悶絶したらどうか、とオチも連鎖的に導くことができた。
 さて、ネタはできたが、作画については、柔軟性に乏しい家内へは、ただただ丁寧にペンで描いてくれと所望するのが関の山であり、実現可能性を模索するために、近所のジョイフル本田に物品調達に出かけてみた。売り場には一見マニアックではあるが、多彩なイラストペンや四コマが印刷済みのケント紙などが揃っていたため、家内のセンスで色付けした四コマ漫画に仕上ることができた。

目次に戻る

 

(15) 寅(とら) 2010年(平成22年)
 猫と虎は、同じネコ科ではあるけれども、その組み合わせは非日常的である。12年前は二匹の調和にとことんまで悩むことなく、結局テレビを媒体にするという小手先に走ってしまった次第である。 今回は、たまたま、であるが、比較的早くネタは思いついた。
 守谷というところは、アチコチでこじゃれた美容室を目にするところである。
 たまたま、師走に入ってまもない週末の夕方、近所のスタバを退出してトコトコと歩いているとき、ふと一軒の美容室が視野に入ったとき、何故か
「虎刈り」
というイメージが脳裏に浮んだ。
広辞苑を引くと、
とら-がり【虎刈り】 刈り方がへたななめ頭髪が不揃いで虎の毛のようにまだらに見えること。また、その頭。
と記されている。
 昨今の若者たちは、このような言葉をご存知であろうか、という不安が一瞬よぎったが、虎が切り盛りする美容室に入った猫が虎刈りにされてしまうという思いつきを得たことで、木枯らしの吹く遊歩道にて、しばし至福の気分を味わうことができた。
 しかし、四コマの中で猫が虎刈りになってしまうということは、猫自身がカットをお願いしないと成り立たないため、どのようにストーリーを仕立てるかで散々と苦心した。
 なぜか、頭に浮んだのは、飼い猫マーシャの「ぞうさん」であった。尻がでかいマーシャがどっしりと座っている後姿が、まさしく象の顔に似ているからで、時には家内とシールを貼り付けて、リアルさを増感させるのが楽しみであった。
 虎の美容室で「ぞうさん」のようなカラーを入れられてしまい、当惑するネコ・・・、平たく言えば今回の四コマはこのようなオチになるようなコジツケであった。
 だが、毛染めをお願いした結果、ぞうさんになってしまった、というのではいかにも出来レースすぎて面白くない。そこで、メスに「薄茶」とバカにされた猫が、なげやりになって「虎刈り」をお願いしたら、虎のおまかせでこうなってしまった、というストーリーで落ち着いた次第である。

目次に戻る

 

(16) 卯(う) 2011年(平成23年)
 家族に可愛がられるウサギが、ネコのお気に入り座布団でヌクヌクしていたところ、ネコに怒られ、驚愕して飛び出したために座布団の上にウンコをひり出してしまい、ネコが家族にそのウンコの処理をお願いしたところ、粗相をしたと勘違いされて逆に怒られる・・・
なんてストーリーを結構早めに考えたのだが、ウサギは、所かまわずフンをするのだろうか、ウサギの糞が丸い、ということは知られているだろうか、とかで大いに悩み、あげくには、家内から
「下ネタだよ」
と言われてお蔵入りになってしまった。
 前年度と同様、美容室ネタ、つまりウサちゃん美容室やバニーちゃんとかも考えたのだが、いまいち決定打とはならず、近所のスタバで悶々としてみたあげく、帰り道のふと家内との会話の中で、ウサギだから「餅つき」に着目してみたらどうか、と最近にしてはめずらしく合意形成が得られた。
 実は夜の飲み屋に係わるネタもあり、ウサギとネコが犬を接客し、ふとした言動で犬が怒ってしまう、というストーリーも考えたのだが、四コママンガを楽しみにしている方々が受容できる内容ではない、と家内からの一存で発禁処分となってしまった。
 そうして、ウサギが餅つきのアシスタントにネコを誘うが、気ままなネコのために作業がはかどらない・・・といった単純なストーリーになってしまったため、絵で、特に2コマ目の猫背と3コマのふんばりにこだわった次第である。
 ところで、登場するネコはオスであるが、3コマ目の尻尾の下に○○がないのは、何故であろうか。これについても家内から検閲が入ってしまったという事情がある。

目次に戻る

 

3.今後の傾向と対策
 一巡したネズミ年を乗り越えてしまった以上、「はじめに」で述べたような2つのメリットがある現状としては、しばらくは継続していくのが妥当であると考えられるが、原稿の作成及び印刷のやり方についての改善が必要だと考えられる。
 そのようなわけで、2009年(平成21年)年賀から晴れてプリントゴッコからパソコンへと進化し、残る課題としては、ネタづくりから原画作成、印刷原稿に至るまでの年末のドタバタをいかになくすか、であろう。

おわり
2005年12月11日記2006年1月3日 2.(11)を追記
2006年1月4日 2.(2)を追記
2006年2月26日 2.(1)に画像を追加、他補筆
2008年2月24日 2.(12)(13)を追加
2011年1月2,3日 1.、3.に補筆、2.(14)(15)(16)を追加

ページの先頭に戻る